季節に置いて行かれる
抑圧を感じ、ふさぎ込んでいる間に夏になってしまった。
花が盛りで、鳥がたくさん飛び、子育てをしている。
季節の変化は、身の回りの細かい要素の連続した変化によって成り立っている。
ふさぎ込んでいると、自分の回りの、必要な事以外はどうでもよくなってしまって、
小さい変化を無視してしまう。無視をしている間にそれが積み重なって、風景がガラッと変わっていて驚く。
細かいところを無視してしまうと、本当に何もなくなってしまうので、それが悲しい。
あおっぽくなった
撮れる写真が青っぽくなった。
動物的なもの
人間の生き物に対する興味というのは並々ならぬものがあるなと思う。その中でも他のヒト個体に対する興味が特に高いのはよく知られているが、それ以外の動物に対しても気をひかれることが多い。だから意匠には良く動物が利用される。
狩猟採集で生計を立てていた時代の圧力がヒトの中に生きているからだろうか。
私自身も普段の生活で動物を見ると得した気分になるし、身近なところに動物を置きたがる。歩いていると他の人が置いた動物的なものを結構な頻度で目にすることになる。
人間はタヌキにごめんなさいをしなければならないような気がしてきた。
※探してみよう!
上の写真にはすべて動物的なものが含まれています。
建物、街並み、その他
建物が連なると、同じような形が一定のリズムで並んでいることになる。
そうするとその建物が建っている土地の広さが感じられる。
風景の移植
引っ越しが終わり、荷解きの作業をしている。思ったより荷物が多く、一度に整理する気にならなかったので、少しずつ毎日やっていく事にした。
「日用品」と書かれた段ボールの中身を出していくと、底にA4大の写真がいくつか入っていた。その中に前の住まいから見えた風景を撮ったものが入っていたので、それを机の前の、すでに写真が貼ってある場所に貼った。
貼ってある写真を見ると、結構いろんなことを思い出して驚く。撮られた風景そのものだけではなくて、写真そのものに付随する事 ー引き伸ばした時の苦労とか、焼き増しして人にあげた事とかを思い出す。
張られた写真は壁になじんで、もとの、写っていた風景とは違う、新しい風景になった。
いつのまにか建った家
3月まで住んでいたアパートの向かい側は崖になっていて、
その上には古い住宅が建っていた。
ある日その住宅が取り壊され、空間がぽっかりと空いてしまい、
眺めるたびに違和感があったが、すぐに普通の風景になっていった。
すると今度はそこに新しい住宅が建ち始めた。
また違和感が生じたが、これも慣れてしまった。
散歩の風景
遠いとはなんだろうか。
遠い、という事を考えている。
視野の中心だけ解像し、あとはぼやけることだろうか。