いったりきたりの話

ぬるっとした文章と写真を上げます 

心に残っている自転車

実際に乗ったことはないが、心に残っている自転車がある。

それはMONTYの自転車だ。

モデル名は定かではないが、多分218Kamelだと思う。

ただし純正の物ではなく、日本の代理店かなにかが改造を施した限定車のようなものだった。

その改造の内容は次のようなものだ。

・シートポストが長く、座ってペダルを漕げる

・同心円状に大きいチェーンリングと小さいチェーンリングが配置されており、簡単な工具で外側にある大きいギアを取り外せる。

 チェーンもクリップが二か所にあり、すぐにコマを詰められるようになっている。 

 移動用に大ギア比、トライアル用に小ギア比を使用するコンセプトだった。

実車に乗ったことがないので何とも言えないが、トラ車の移動半径が+5km位される感覚なんじゃないか。

これはどういう自転車だったのだろう。なぜこんな変な物が生まれたのか。

 

考えるに所かまわず読み替えて走る楽しさに原因があるのではないか。

バイクトライアルの始まりは、スペインで子供たちがモーターサイクルのトライアルを真似したことだという。

その当時はどんな感じだったのだろう。河原で岩から岩へ飛び移ったり、公園のベンチに上り下りしたりとか、

そんな感じだったのだろうか。でもその場所への移動は、自走だったと思う。

その感覚をインストールして自転車に載っていると、物の持つ意味の読み替えが起こる。

まず、転がっているコンクリートブロックはゴミではなくセクションになる。

河原の岩たちを読めるようになり、洪水で流路が変わると、新しい走り方に変わる。

いろいろなところを流しながら、土手を登れるか試したり、細いところを通れるか試したりする。

普段の意味や、一般的なサイクリングの解体が起こり、トライアル的な価値観で物を見るようになる。

これは愉快なことだ。一粒で二度おいしいとはこのことだ。

 

そもそもある場所を知るというのはどういうことなのか。

三次元の座標を想定し、観測する格子を設定し、その格子に何があるかをいちいち記録するということではない。

客観的な事物の集計というよりは、自分とその場所の重なりを記憶している。

目的を強制的に変化させることで、場所が変換される。

たしかにあのへんな自転車はこれを行う装置のような気がする。

 

しかし偉大な発明の第一歩がほとんどそうであるように、

あの奇妙なMontyは欠点が多い。

まず20インチのタイヤは移動力にかける。それにチェーンリングを外しチェーンを詰める手間は

それなりに大きいだろう。長いシートポストを外して、そこらへんに転がすのは、意外とストレスがある。

セクション攻略後、それを取りに戻ら無ければならないからだ。目の前にある坂を登り切って、その先に行こうというときには障害になる。

ツーリングトライアルには向かない。

 

今考えるなら、ドロッパーポストとフロントダブル+リアシングルの組み合わせかな。

Lowsideの改造の方向性として、これはいいかもしれない。

基本的にサイクリングをしながら、セクションを見出して、すぐさまギア比とシート高を変化させられる。

楽しそうだ。

 

ギア比は1.2程度と2程度の組み合わせがよいか。

後輪が19Tだと、チェーンリングは22T, 38Tだ。

トリプルクランクの一番大きなギアを外したような感じかな。

BLのXMCが26t,36t,48tなので、大体近い。

フロント内装変則クランクという飛び道具はどうか。

テンショナーのキャパシティがAlfineのCT-S500が16Tでこれが使える。

 

Surly lowside完成

Surly lowside

 

中古でフレームを買ったsurlyのlowsideが組みあがった。

今回は前後ホイールも自分でくみ上げたので、完成の喜びもひとしおだ。

細かい部分に注目すると、シングルスピードなのにXTのSTIレバーがついていたり、

調整幅が足りず後輪のブレーキロータがパッドと擦っていたりと、粗もあるけど、走る自転車が良い自転車だということは何よりも真実だろう。また乗りながら直していこうと思う。クランクもパーツ入れに突っ込まれていた相当年季の入ったDeoreの5アームクランクで、チェーンラインがしっかり出るか心配だったが、勘で買った118mmのBBでシムで調整できる範囲に収まった。(Runwellのシムをハブ側に0.6mmほど入れただけで、ラインが出た。)左クランクとチェーンステーの隙間がおそらく1mm以下なのが気がかりだが、山を走ったりしても干渉した気配はないので大丈夫だろう。Surlyはこういうところが本当に楽だ。もちろんかっこよく組んで、かっこよく乗ることもできるフレームだろうが、ちょっと茶の混ざった灰色のフレーム色や、ドラム缶で焚火をしているペットマークなんかから、ブリコラージュ的な雰囲気を感じ、ごた混ぜで、とりあえず動けばいいんでない?というノリで仕上げた。Lowsideも新しく下らねばならぬ心の斜面よ、ということで、手持ちパーツでマッシュアップしても許容してくれているだろう。

 

組み上がった週末は早速いろいろなところを走った。

全体的に感じるのは余裕だ。

これは頑丈なフレームと太いタイヤという組み合わせが奏功していると思われる。

ちなみに26+で組み、WTBのRangerをはいている。

河原の土が積もったような周回コースで飛ばしても、通常の26インチホイルで感じるラインをきっちり選ばないと、フロントから転倒するぞという緊張感はない。また、26+はジャイロ感がちょうどよく、ハンドルの切り具合とバイクの曲がり具合がリニアだ。通常の26だとある程度の切れ量に達すると急激に曲がる感覚があるが、それが26+だとない。典型的なのは砂利とか浮き砂の上で曲がっていく時で、26インチの時よりすこし高速で進入しても怖さが少ない。しかし27.5と比較しないと、26+の真髄もわからないと思うので、いずれホイルを組もう。

 

フレーム自体とは別の話だが、今まで乗っていたMFEは私には小さかったんだというのがしみじみ分かった。前三角の小ささは隠しようもなく、120mm17°という長めのステムでポジションを出していた。直線や舗装路は全然大丈夫だったが、曲がる時は問題があったのだろう。疲れてきて肘を伸ばし気味で曲がると、フロントから転倒することが何度もあった。なんだかフロントの荷重が抜けやすい印象があった。

後ろが柔らかく、前が固いという得難い特性を持ったフレームだから、何か別の面白い組み方、乗り方をまた考えよう。

 

LowsideはLサイズだし、モダンなリジットMTBらしく長い前三角を持っている。

(でもフォークは適度に短くて、タイヤとクラウンの隙間が詰まっている。クラシカルでかっこいい。)窮屈さが全くなく、思いっきり体を動かして乗れる。これが楽しい。

SSMTBはただでさえマニューバを強制されるが、輪をかけて体を大げさに動かして乗っていると思う。乗らされているということではなく、楽しくて体が動いてしまう感じだ。ただフロントアップが重い感じはあるので、チェーン引きをできる限り伸ばしてリアセンターを短くしたり、将来的にはフロントフォークをすこし長め&軽量の物に交換できればもっと楽しいだろう。

 

いつもの山坂道を上って光城山の周りを走った。この自転車で走るダブルトラックの下りの楽しさは格別だ。春の異様に埃っぽい中を上り下りし、稜線で瞑想したりした。MTBは本当にいいものだ。これでツーリングに行っても楽しいだろうな。MTBはダボ穴がなくても長いシートピラーとハンドルに結構な量の荷物を括りつけられる。上り坂では押し活をすればよいだろう。(押し活:筋力を上回る負荷の上りでは自転車をおり、押すことを許すという敗北主義的な活動)○○で無ければいけないという思考からどんどん自由にさせてくれる。

 

とおもったらLowsideが終売するという知らせが飛び込んできた。

こんな素晴らしい自転車が無くなるなんて、中古で買ったのであまり大きな声では言えないが、、、



お役立ち情報

・TNIのED30リムとEvolutionHub(OLD110mm)の組み合わせの場合、スポーク長は左右共に260mmでちょうど良かった。

・TNIのED30リムとPaul Disc Word hub(OLD142mm)の組み合わせの場合、スポーク長260mmだと組めるが短かかった。262mmの方が良いと思われる。

・TNIのED30リムとWTB Ranger 26x2.8の組み合わせは次の条件でビートが出た。

 シュワルベのタイヤタンクを使用し、シーラントを200cc程度入れ、32mmのリムテープを使い、バルブコアを外してビート上げを行った。逆にバルブコアを外さないとまったく上がらなかった。

 

無駄な情報

・Highside:二輪車で旋回中に後輪が摩擦を失い滑り出した後、グリップを回復したときにトルクがかかっていると、車体が急激に直立する現象。車体が直立することでライダーがカーブの外側に投げ出され、非常に危険。

・Lowside:二輪車で旋回中に旋回の中心側に車体が倒れること。



タイヤ

 

SSMTBについて考えてみる

 HaroのBealeyを買って、喜んで乗っている。当初感じていた鈍重さはギア比が原因だったようだ。33x13から33x18に変えたら、相当乗りやすくなったと思う。乗るのがだいぶ楽しくなって、近所のトレイルハンティングをまた始めるようになった。私が住んでいるところは、西に高い山、東に低い山がある溝みたいな南北に長い盆地で、トレイルハンティングはし放題だ。傾向的には低い山のある東のほうがSSMTBには向いているので、自然にそちらを探してる。先週も一本良いトレイルを見つけ、恐る恐る下ると、荒れてはいるがスロープがあり、先住民がいたようだ。私も落ちている枝をのけて、走れるように整備した。しかしトレイル以外の部分は廃村だらけで、なんとなく陰気な感じだった。そのトレイルの入口に行くまでの道は舗装路なのだが、崖にかかっている道がほとんどなので、やがて落盤が起きて補修されず通れなくなるかもしれない。そういう道が周囲にはたくさんある。地形図の道を信じるとひどい目に合う。

 下りがほぼ押しだったので、もう一本ぐらい行こうという気になっていつものトレイルに向かった。200mほど舗装路を登り稜線に出て、ダブルトラックを下った。考えてみればそのダブルトラックは今まで登ったことしかなく(その道を登って稜線にでて、裏側の斜面のトレイルを走るのが鉄板コース)、下ってみるとSSMTBにはダブルトラックが向いていますね。しかしダブルトラックといえど途中で浸食で大きな溝が出来ていたり積雪があったりするので、結構刺激的だった。

 SSMTBが面白いというのが染みてきてほかにもいろいろ試してみようかと考えている。なのでSurlyのLowsideを買った。政治の失策によって円安が進行しているので、新品のフレームの価格は17万円近いという異常な価格になっているが、新古品を何とか半額ぐらいで買えた。ホイールをどうしようかと考えたが、ここは26+を試すときが来たのだろう。コアなMTBファンで競技系でない人は26+を推す人が一定数いるので気になっていたし、私は非力だしテクニックもないので、26インチの良さは身に染みている。SSMTBに必要なエアボリュームを提供してくれる現実的なサイズのタイヤは26+なのだろう。しかし26+は明らかに低調な規格で、乱立するMTBの規格の波にのまれほぼ絶滅している。競技者にとっては最新の規格が最良なのかもしれないが、なぜこんなにお金がかかり、パーツの供給に頭を悩ませなければならないのか。もうしょうがない。庶民はDIYで乗り切るしかない。振れ取り台はあるので自分でホイールを組むことにしよう。ただタイヤばかりはどうしようもない。実質26+はWTBのRangerしか選択肢がない。しかし中国のタイヤメーカの守備範囲というのは恐ろしく、Jiluerというメーカーから26x3.0のタイヤが出ている。気になる重量は968gで悪くない(Rangerは770gだが本家本元のDirt wizardは1200g越えだ)。TPUチューブと組み合わせると、何とか軽量か…?RangerとJiluerの重量を比較してみよう。シーラントとTPUチューブの重量はだいたい同じだと考え、(968-770)x2=396でほぼ400gだ。一方価格差は、wtbだと9900x2+3000=22800円、Jiluerは7934+1752x2=11434+送料といったところ。難しい。タイヤ円周を計量化する意味は大きいので一回はRangerを試してみるか。チューブレスというのはやはり快適だしな。

ギア比


 Haro Bikes のBeasley SS というMTBを買った。名前にSSとあるようにSSMTBだ。シングルスピードの中でも、SSMTBには特別な響きがある。ピストを街中で乗るとかなり我慢を強いられる。乗るのがうまい人や、上手にパーツを選べば違うのかもしれないけど、速く走るぐらいしか楽しみがない、ピストは。しかしSSMTBは乗って楽しい一方、SSという制約がもたらすストイックさや費用の安さメンテのしやすさを享受できる。これは面白い乗り物だ。

 SSMTBを見ると思い出すのは2011年頃にMontyの日本代理店が企画していた長いシートポストのついたトラ車だ。これはどこにでも移動できる自転車というコンセプトで売り出されていたと思う。20インチのトラ車がベースだった。今思えば移動とトライアルを両立できるかはかなり疑問だが、当時は輝いて見えた。なによりどこにでも移動できる自転車というコンセプトは私の心の中に残っている。いろいろ自転車に乗った現在から振り返ると、最もそのコンセプトに近いのは、

・太いタイヤ

・軽さ

・安さ

を備えた自転車だろう。私の中では、ARAYAのMFEがこのコンセプトにマッチしている。作りは適当だが、機能する完成車が6万円で買えたのは素晴らしかった。ディスクブレーキタブもついていて、改造にも十分耐えている。後ろ三角が柔らかくて、オットッピでチェーンステイをしならせることもできる。本当にどこでも乗ることが出来て、通勤に使い裏山を走り河原の周回コースを回り1000kmのツーリングをこなす。まあ大概の自転車でできるのかもしれないが、無理なく安く楽しくとなると、そういう自転車はあまりないのではないか。

 しかし最近飽きてきてしまって、MFEに申し訳ないことだが、SSMTBを買おうと考えていた。やっぱりシンプルなものにその乗り物の神髄があり、それを味わうべきなのではないかという妄念にとらわれているのです。でBeasleySSを買って、乗ってみて思ったのは、間違っていなかったということだ。神髄がある。その自転車はSSの割に重く、チューブドのホイールなのもあってかかなりごつごつとした乗り心地だが、ギヤ比の制約から体を動かすことを強制され、乗っていて楽しいのだ。例えば移動を快適にこなすギア比に設定すると、漕ぎあげではまずフロントは上がらない。だからハンドルの上に臥せって一気に上体を起こし、その慣性でフロントを上げるしかない。これが楽しい。あるいは河原の周回コースを走ると、速いわけではないが、思いっきり漕ぐ割合が増え、少しの周回でもギリギリまで行ける。体を動かすのが楽しいなんて自転車に乗り始めたころを思い出してしまう。

 そのBeasleyの購入時のギアが、33×13Tだった。ホイルは27.5インチなので、鬼のギア比だ。山で走ろうとすると、舗装路の上りはギリギリ登れるが、未舗装とか積雪がある路面だともう登れない。MTBとしてのアイデンティティが崩壊する。だから18Tのコグを買ってきて、取り付けた。さっと乗った感じ、よさそうだ。明日も山に走りに行こうと思う。

Civil WarとWarfare

映画の中で描かれる戦争の程度が、より進行して、兵士が体験する一つの局地戦となった。Civil Warの段階では全米的な架空の内戦を取材する記者が主人公だったが、
Warfareでは実際の戦闘を再現すべく、イラクを舞台として、兵士が主人公になっている。

 

 Civil Warでは、一本の映画の中で、場所と時間が移り変わっていく、映画の快感があった。冒頭の大統領の三期目就任のテレビ放送から、その殺害まで、次々と場所、時刻が移り変わり、解釈を許すイベントが映し出された。そのイベントが恐ろしいもの、不気味なものであっても、初めと終わりがある、映画の中の世界が因果関係に沿った解釈可能なもの、ミニチュアとして示されていた。


しかし、Warefareでは、ある戦闘を描くことに終始している。映画としての異質さを列挙する。カットによる場面の切り替えがない。明確に場面が変わるのは、冒頭のエアロビ鑑賞から、市街戦へのシーンの切り替わり程度。BGMがほぼない。冒頭のエアロビの音楽と、最後に流れる音楽程度。背景と心情の描写がない。敵対する外国人どうしが、ただ戦っている。痛かったり、怖かったりするのだろうが、表情では一見して取りにくい。単に常にいら立っているように見えた。少なくとも言葉で説明されるのは、戦闘に対処するための物事だけだ。イラク戦争の見取り図、この戦闘に至る経緯は説明されない。米兵とイラク兵の内面を示すような言葉はない。

 

 ライブカメラを見続けた経験はあるだろうか。どのような場所のものでもよい。
それはどのような場所であっても3分見れば退屈なものだろう。考えてみれば、これは動画という媒体そのものに由来する退屈さだ。未加工の動画は、鑑賞者の意識を拘束し、因果関係を解釈させるには、あまり情報が疎らである。人間の注意を拘束し続けることは難しい。無理に行えば退屈であり、暴力である。

 

 この映画では、
因果関係による場面転換の排除、
音楽と映像の同調の排除(唯一の同調シーンがエアロビなのは皮肉だ)、
大局と心情の排除

という、映像を面白くする仕組みの排除があった。それによって洗い出されたのは、映像の非人間性である。とくに映画館で席に拘束され、三つの快感が排除された映像を見させられる場合、それを感じる。もちろんこの非人間性と暴力は、戦争の非人間性と暴力を示そうとしたものだろう。

 

 架空の内戦を語ったCivil Warは、解釈可能な警告だ。しかし解釈を拒む映像の非人間性と暴力を含んだWarfareは、警告として機能するのだろうか。むしろそれは避けられない暴力に対する、予行演習、ケアなのではないか。

 

私は、作品が描く、暴力の程度が、数年でここまで進んでいることを怖がっている。媒体に由来する暴力を使ってしまったら、次の映画はどのような仕組みで何を描けばよいのか。戦争体験者は、口をそろえて、戦争が始まってしまったら止められない、始まる前に防がなければならない、と言う。

祖父が死んだこと

祖父が死んだ

享年92であった

 

私と祖父の関係は微妙で、特に晩年はいわゆる家族的な仲の良さは失われていた。

ただ、それは祖父を人間的に軽蔑していたということではない。

年齢が3倍ほども離れていると、常識の前提が異なりすぎていて、

生活実感の隅々で衝突することが多々あり、それで険悪になっていたのだと思う。

 

以下に思い出を記す。

 

祖父と同居し始めたのは私が10歳の時で、その時祖父は稲作をしていた。

当時私が祖父の耕作を手伝った中で印象的だったのは、

最初の田植えをした後に、稲の列を修正する作業をした時のことだ。

 

その時は田植えをした次の日に、格子状に植えた稲の列の位置の修正をした。

問題なのはその時の天気が土砂降りだったことだ。

泥にまみれ気温が一桁の中雨に打たれ、ひたすら稲を植え直す作業は、

私に将来農民にはなるまいという決意をさせるには十分だったが、

一方で合理性を超えた仕事へのこだわりの凄みを感じさせた。

祖父はそういう苦行を「良いもの」を作るための道程ととらえていたと思う。

私は全くそれに共感しないが、その態度に尊敬を抱いてもいた。

なぜならある種の職人技の美しさはそういう態度から生じるのだということを、

感じたからだ。

ただそれはひたすら苦痛だった。実際に植え直した米の味と,それをしない米の

味の差は、私には分からなかった。

 

こういう軋轢は宗教的な世界観と科学的な世界観の断絶を感じさせた。

 

それに関連して言うと、祖父が語った松根油の話はよく覚えている。

 

祖父は1931年生まれだ。

この年齢は特別な意味を持つ。

1930年生まれまではアジア太平洋戦争に出征した可能性があるからだ。

 

祖父の思春期は軍国主義に彩られていた。

当時は国民学校に軍の将校が来て、教育に影響を及ぼしていたそうだ。

1944年当時時の日本は支配圏から油田を失い、飛行機を飛ばすための燃料が不足していた。

その中で代替燃料として考案されたのが松根油である。

油分が豊富な赤松に注目し、伐採してしばらくたった赤松の根を乾留し、

油を作り出す。これを松根油という。松根油は戦闘機の燃料として

利用される計画だった。

 

祖父は1944年以降、終戦まで、学校の指導で山に入り赤松の根を掘り返し、

松根油を製造していたそうだ。

 

 

松根油は戦後の米軍の調査で、何ら日本の戦争遂行に何ら寄与しなかったといわれている。

 

これを語るときの祖父の語り口というのは、いかにも楽しそうなものだった。

私はその語り口から、徒労の面白さという問題を学んだ。

 

年の功というのは本人が良い教訓として語るものから得られるだけではない。

愚行から学ぶこともできる。

 

家族であり、手近な共感の範囲外にある存在として祖父のことをとらえていた。

 

 

いつ言葉に意味が生じるのか、「スペシャル」が完結したこと

 いつ言葉に意味が生じるのか、という疑問に取りつかれたことがある。それは思春期の終わりごろのことだった。私は多動的で、話好きな方だと今では思うのだが、当時は全く他者としゃべることが得意ではなかった。話好きなのにしゃべれないという状況が当時の私の煩悶を加速させた。解決策として言語によらないコミュニケーションは可能か?ということを考え、写真という趣味に没入していったのだが、その成果は芳しくなかった。(写真というメディアのあいまいさについては今更論じるまでもない。)

 

 そういう悩みは思春期が終わるにつれ、また例えばコンピュータプログラミングを(下手なりに)勉強するにつれ、様々な解法を見出すことによって癒すことができた。全く赤の他人と話すことは怖くないし、定まった意味を媒介にすれば言葉は通じるのだ、ということを、経験則的にわかるようになった。しかし、そういう悩みを根本的に癒したのは、親しい友人との会話を経験したということに尽きるのかもしれない、と思う。

 

 言葉の意味とは、会話の中にしか存在しないのではないか、そう思わせるほど、面と向かい合った友人と様々な事柄についてそぞろ語りすることの相手と通ずる感じは言い表せない。酒を飲んで明け方まで延々議論することは、合理性から言えば愚かなのに、私をひきつけてやまない。(私たちを、だと信じている。)

 

 そのような会話の楽しさをカプセルに封じた漫画が先ほど完結した。その漫画は平方イコルスンの「スペシャル」だ。

 

 「スペシャル」の印象的な場面にトイレを「海」と表現する回がある。なんのこっちゃと思うだろうが、その比喩の持つ親しさは私の中で特別なものだ。

 

 しかし、熱に浮かされたように会話をした後で思うことがある。やはり私たちは生物的な個体として、相手を完全に理解することはできないし、ましてやモノそのものを理解することは決して出来のないのだ、ということだ。「スペシャル」を読み終えた後でそういう、かつて言葉の意味に悩んだときのむなしさを覚えた。それはむなしいが、現実を確かにとらえたような茫漠としたむなしさだ。

 

 しかし、言葉を紡がねばならない。それはそうでしょう?会話の中にしか意味が生じないのだから。