panpanyaが描く風景について
panpanyaの漫画で繰り返し表現される街がある。それは高津だ。この高津というのはどこだろうと考えると、おそらく神奈川県川崎市高津区だろう。多摩川下流の右岸、北に東急田園都市線、南に東急東横線が走っている街である。なぜこの地域の住宅街が頻繁に登場するのだろうか。疑問に思ったので、まずは実際に高津に行ってみることにした。
行ってみて驚いたのは、panpanyaが描く風景と、実際の街の風景が予想したよりずっと近かったことだ。漫画の風景を実際の風景に先立って眺めていることを差し引いても、両者がかなり近いと思った。実際にも密集した戸建て住宅、網目状に入り組んだ道路、丘や谷を覆い尽くす家々とその中に唐突にある緑地等が、うねる様に存在していた。外から高津を訪れた私にとっては、驚異というほかない風景だった。
いったい高津の風景の何が、panpanyaを、さらには私をひきつけるのだろう。ここでは二つの筋道、すなわち街の成り立ちや構造の分析、そしてpanpanyaの漫画で言われることを通して、その理由を想像してみたい。
まず高津という街の成り立ちを調べてみた。いくつかの資料によると、多摩川の下流左岸は東急の社長、五島慶太が増加する東京の人口の受け皿として、戦後農地や旧陸軍の演習場を買収し始めたところから、今見られるような住宅地としての利用が始まったようだ。いくつか資料を引用してみよう。
「五島は、年々増加する東京の人口問題を解決するためには、『第二の東京』をつくり、人口を移植させるしかないと考えたのである。この構想に基づき、東急は川崎市から横浜市北部にかけて広がる膨大な土地を買収していった。」
(レッドアロ―とスターハウス p134 原武史 2012)
「…そこでこの厚木大山街道に沿って少くとも十ヶ所位田園都市的の都会を作って同時にこの地方全部の発展を盛り上らせたいと思っております。…そこで私はこの厚木大山街道に沿って約四、五百万坪の土地を買収致しまして、第二の東京都を作りたいと思うのであります。厚木大山街道に沿って四、五百万坪の区劃整理をして、これに東京都の人口を移植するのであります。…そしてその規模は中川を一、山内を二、四、中里を三、五、田奈を六、新治を七、宮前町の旧六十二部隊跡、これは大部分農地法で農地に還元されておりますが、これを第八として、この厚木大山街道の両側に一から八までの区域を限って大体四百万坪乃至五百万坪纏めたいと考えております。…」
(城西南地区開発趣意書 1953 https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%9F%8E%E8%A5%BF%E5%8D%97%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E9%96%8B%E7%99%BA%E8%B6%A3%E6%84%8F%E6%9B%B8
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B4%A5%E5%8C%BA#%E7%8F%BE%E4%BB%A3
・1953年(昭和28年) 東急電鉄の五島慶太会長が城西南地区開発構想を発表。
- 1962年(昭和37年) 多摩田園都市の最初の区画整理事業が野川第一地区で完成。以後、南部丘陵地帯では東急グループ主導の住宅開発が進行する。
- 1965年(昭和40年) 第三京浜が開通する。
- 1966年(昭和41年) 東急田園都市線溝の口駅-長津田駅間が開業。同時に二子橋の軌道・道路併用利用が終了し、道路専用橋になる。
- 1972年(昭和47年) 川崎市の政令指定都市移行に伴い、高津区(現宮前区の区域を含む)が発足する。
参考 高津の流域区分マップhttp://www.city.kawasaki.jp/takatsu/cmsfiles/contents/0000035/35881/mapping.html
ここで、高津周辺の街作りの一つの核となる概念が浮かび上がってきた。すなわち田園都市である。田園都市とは、19世紀末にイギリスのE.ハワードによって提唱された、都市の魅力と農村の魅力を弁証法的に昇華した街のあり方だそうだ。緑ゆたかな農地の中に、庭付きの一戸建てが散在している理想的な街。五島慶太はそのような街を夢見たのだろう。
しかし田園都市のイメージと現在の高津を比較すると、私には現在の高津は、「過密化した田園都市」というように感じられる。ここからは完全に想像であるが、恐らく田園都市として開発が始まったが、地価の上昇に伴って田園都市内の農地や緑地が売却、宅地化されてゆき、なしくずしに本来散在しているはずの一戸建ての建物が、軒を連ねているの風景が誕生したのではあるまいか。本来の理想が流転してできた街とでもいえるだろうか。
では「過密化した田園都市」という風景が、なぜpanpanyaや私を引き付けるのだろう。panpanyaの漫画の中では、結果的にそうなったものという主題がいくつか扱われている。計画的な都市となしくずしの街の対比があざやかな「Newtown」(枕魚)や、いつもの主人公と海底館のような頭をした男が街を作っていくうちに密集した家々ができてしまう「開発」(二匹目の金魚)などが思い浮かぶ。ただ、panpanyaが実際にどう思っているのかを想像し、論を進めるのはためらわれるので、ここではなしくずしの風景がいくつかとりあげられている、という事を指摘するにとどめたい。
最後に私にとって、panpanyaが取り上げる風景がどんな意味を持つのかを述べたい。私は写真を趣味としており、色々なところを歩いて写真を撮ってきた。そのなかで思ったことは、人間の手の及んでいない風景はほとんど存在しないのではないか、ということである。その点において、現在私たちを取り巻く風景とは、ほとんどなし崩しの風景といえる。開発の端緒にあった理想を念頭に置いてこれらの風景を眺めると、ただの失敗としかとらえられないのかもしれない。しかし理想が吹き飛んだ後に生きている私にとっては、記憶の中で歴史的な経緯を持っていたり、ほんのささいな変化さえ感じられる風景である。このような風景を私は肯定して、冷静にとらえるところから、さらも未来の風景を作っていきたいと思う。その意味でpanpanyaが優れた観察眼でもって描く風景は、同じ時代を生きる私たちの風景だ、というように感じられるのだ。だからpanpanyaの漫画が大好きなのだと思う。