雨の日に干されている洗濯物
今日は雨だった。午前中はやることがあったので室内にいたが、午後は散歩に出かけた。じとじと雨の降る中、細い通路を抜けていく。通路の両脇には民家が迫っていて、その庭や植木なんかが垣間見えた。しかし、荒れ果ててしまった家屋もちらほらとあったり、整理されてはいるものの、人気がない家もあった。
本当に入って行っていいのか躊躇するほど細い道
そんな少し生活感の無い街並みの中を、曇り空の下で進んでいくと、門の隙間から周囲とは異なる白い何かが見えてはっとした。覗き込んでみると、なんとこの天気なのに洗濯物が干されていたのだ。白いシャツや靴下なんかが、雨に濡れていた。
ふつう雨の中で洗濯物は干さないから、おそらくしばらく干しっぱなしになっているのだろう。私もたまにやってしまう。しかし、生気のない街の中にあって、生活の一片である洗濯物が干されていて、しかもそれがほったらかしにされ雨に打たれているというのは、まとまりのない違和感の断片として私の頭の中に妙に残ったのだった。
生物は外界の変化に伴って何らかの行動をとる。その生物の巣である家も、天候の変化に伴って反応を示す。晴れていたら、ベランダや軒先に洗濯物が干されているだろうし、雨が降っていたら、それは取り込まれて見えなくなってしまう。今回のようにしかるべき反応が環境の変化に対してなされていない場合、まるで間違いさがしを見ているかのような違和感が見る者の心に湧き上がるのだ。
この違和感はおそらく死に対する恐怖に起因するのではないか。反応がなくなってしまったら、その生物は死んでいるのだから。生きているものがとるべき反応がない、不調和状態。これを雨の日に干されている洗濯物に感じたのだった。
9/24 写真追加
以下その日に撮った写真です。CANON 7 と Color-Skopar 50mm のテストも兼ねてます。
最近は伸び放題になったヤツデを見ることが多い
ザクロが豊作だった
校庭の隅にあった人形たち
ハウスの中で休んでいた猫、雨が降っていてもなんとかするものだ
酒造所の蔵、はげはげ。でも酒はうまい
そのあと長野駅に移動して、そばを食った