いったりきたりの話

ぬるっとした文章と写真を上げます 

祖父が死んだこと

祖父が死んだ 享年92であった 私と祖父の関係は微妙で、特に晩年はいわゆる家族的な仲の良さは失われていた。 ただ、それは祖父を人間的に軽蔑していたということではない。 年齢が3倍ほども離れていると、常識の前提が異なりすぎていて、 生活実感の隅々…

いつ言葉に意味が生じるのか、「スペシャル」が完結したこと

いつ言葉に意味が生じるのか、という疑問に取りつかれたことがある。それは思春期の終わりごろのことだった。私は多動的で、話好きな方だと今では思うのだが、当時は全く他者としゃべることが得意ではなかった。話好きなのにしゃべれないという状況が当時の…

思い出の寿司

もてラジを聞いていたら、野菜の寿司がおいしい、という話をしていた。ラジオ内ではヤマゴボウ、ナス、かっぱ巻きなどを紹介していた。私は野菜の寿司の中だと、柴漬けの巻きずしが好きですね。 記憶をたどってみると、確かに握り寿司ではなくても、おいしい…

panpanyaが描く風景について

panpanyaの漫画で繰り返し表現される街がある。それは高津だ。この高津というのはどこだろうと考えると、おそらく神奈川県川崎市高津区だろう。多摩川下流の右岸、北に東急田園都市線、南に東急東横線が走っている街である。なぜこの地域の住宅街が頻繁に登…

川は血管

斜めの構図

写真の生成に関するカメラの独立性 を考えたとき、最も写真らしい構図というのは、水平の構図なのでは、と思っている。なぜなら、画面上で思わぬものが並置されることで、カメラによる画像生成の無機質さが分かりやすくなるからだ。しかし、水平の構図 はの…

近過去

春は良い季節だが、あっという間に過ぎてしまう。現像から上がってきた写真は、時間差を持って過ぎてしまった事を目の前に示してくれるので、しばし春の余韻に浸った。 今回のカメラ

晴日暖風生麦気

写真を趣味にしていると、たまにカメラを譲り受けることがある。しかし、うまい話はないもので、たいてい不具合があるとか、あまり使いやすくないとか、そういう機械が回ってくるものだ。 先ほどPCのデータを何気なく覗いていたら、10枚位の写真が入った…

3月22日17時28分のこと

春になれば冬が懐かしい

「説明を省いてみたらどうですか?」

市街

あさひがおか

山中にて

製品が風景に与える影響について

今日の建物2

住宅の中には、幸福な家族の生活があるのだろうが、それを包んでいる建物があまりにも周囲の風景に対して唐突で、そのギャップが私を混乱させる。

今日の建物

あたらしい家

断裂

人間が生活している土地では、その場所に特有の機能が与えられている。私は、生活していくうえで、そういう役割の分化をまったく自然なこととして扱っている。しかし、それが進行しすぎると、ふと冷静になった瞬間に “風景が断裂している” ということを感じ…

謎の施設

panpanya 「狢」について②

気が付けばpanpanyaの4冊目の単行本、「動物たち」が刊行されてから1年がすぎ、次の単行本「二匹目の金魚」が来年の1月に出るという。「動物たち」については、収録されている「狢」についてだいぶ前に書いたが、書き足りない気がするので、もう一度書きます…

10月22日の写真

最近この5,6年の間にデジカメで撮りためた写真を何とか整理して、ひと塊の作品にならないか、と試行錯誤している。画面のデータとにらめっこして、ああでもないこうでもないと考えていると、ひたすら謎だな、という漠然とした気分になる。仕方ないのでちょ…

曇りの日

景色をすりぬけて②

いつも見ている風景でも、ふいにその同一性が破れて、新しい感慨が生まれる。

景色をすりぬけて

ぞくぞくする感覚があるとすれば、”風景”をすりぬけて何かが現れ出た時に感じられる。

住宅街の断面

切り立った崖のように、住宅街の込み入った構造が露出している。

故郷を失った人々へ

私は写真が好きです。それは、写真を撮る、という事を通じて、撮られた風景との繋がりを感じられる瞬間があるからです。これはとても不思議で、尊い感情だと思っています。なぜなら、私とその外界はとても離れているのに、まったく違う物なのに、その溝を乗…

彼岸前

panpanya 「狢」

先日、岡潔という人が書いた文章をまとめた本を読んでいると、こうあった。 「『価値判断』が古人と明治以降の私たちとで180度違うのである。 一,二例をあげると、古人のものは、 『四季それぞれよい』、 『時雨のよさがよくわかる』である。 これに対応す…

神奈川県の旅①

神奈川県に行った。考えてみると神奈川県には初めて旅行をした。 普段見ないコンビニ 歩いても歩いても住宅街だった。